あなたは覚えているだろうか?
今回、東京オリンピックゴルフ大会で
女子チームのヘッドコーチを務めた服部道子は
天才少女プロゴルファーであったことを!
服部道子の天才少女ぶりを眺めるとともに
服部道子家の実家である家族の父母通して
どうして
ゴルフというスポーツに興味を持ち
プロゴルファーを目指したか?
を訪ねて見ることにします。
ページコンテンツ
服部道子のプロフィール
名前 服部道子
生年月日 1968年9月8日
出身地 愛知県日進市
身長 168cm
体重 59㎏
プロ転向 1991年
日本LPGA 18勝
賞金女王 1回
生涯獲得賞金 698522884円・16位
出身高校 愛知淑徳高校
出身大学 アメリカ・テキサス大学オースティン校・国際経済学卒
小学4年生の時に祖父の勧めでゴルフを始める。
スポーツ選手は家族、祖父母
などの影響でスポーツ選手になった人が多くいます。
服部道子も例外にもれません。
彼女、服部道子さんは天才少女と言われたか。
なぜって?
1984年日本アマチュアゴルフ選手権を
当時史上最年少(15歳9か月)で優勝しています。
翌年の1985年には全米ゴルフ協会の主催する
全米アマチュアゴルフ選手権を
当時、史上最年少で優勝しています。
17歳です。やはり天才少女です。
私も知りませんでした。
今回、服部道子さんのブログを書くことになり
初めて天才ぶりを知りました。
服部道子16歳の時、全米アマチュア選手権制覇!やっぱり天才!
16歳の時、1985年
初めてアメリカに1人で旅立って行きました。
目的は全米アマチュア選手権に参加するためです。
トランジットあり
パスポート、スーツケース、チケット、ゴルフバックを
忘れないように気を使ったと言います。
無事現地に着いたら90点だったと。
プレッシャーはなかったと言います。
試合は、あれよあれよという間に試合が進み。
結果的に、1日2プレーのマッチプレーの経験する。
服部道子とCheryl Stacyとの闘いで5&4で勝ち
優勝しています。
帰りの便は16歳で
初めてファーストクラスに乗った。というより
ファーストクラスに変えられていた。
服部道子は
成田国際空港に着いた時は
沢山フラッシュがたかれ
誰かの写真を撮っていると思い込んで
何回も後ろを見たという。
私が撮られている!
参考:youtube・語る~特集・服部道子
服部道子は天才少女でなく、父母はプロゴルファーの後押しを!
服部道子さんの実家は
医師をしている父(弘道)と母(紘子)
母、紘子さん(旧姓松波紘子)は
1962年に日本女子アマチュアゴルフ選手権競技に
優勝しています。
知らず知らずのうちに
母、紘子さんは娘の道子に影響を与えています。
又第1回世界女子アマチュアゴルフチーム代表として
フランス大会に参加しています。
服部道子は天才少女ではない
ゴルフ始めの3年間はイヤイヤやっていたと言います。
服部道子は元祖・天才女子の心意気を感じられない気持ち、言葉を
語っています。
服部道子さんは
テキサス大学・テキサス大学オースティン校に
留学します。
家の近くのゴルフ場、三好カントリーで東海クラシックが行われ
トムカイトさんが参加した時に
トムカイトさん出身のテキサス大学を勧められる。
日本人がいない事を条件に選んでいます。
テキサス大学を卒業後帰国。
服部道子さん本人は
「プロになるつもりはなくて、帰国後の就職をどうしょうかと
思っていた」
面接の資料を作っていた。
あれれ?
天才少女は就職を考えていた?
そんな娘を横目で見ながら
母は、JLPGAのプロテスト申請を出します。
その結果、1991年
見事プロテストを1位合格で通過。
母は、娘、道子の背中を押してくれたお陰で
プロゴルファー服部道子プロが誕生します。
1992年
プロゴルファーとして出発するが
2年間勝てなかった。
プロとしての覚悟もなくトーナメントに出場します。
ある時、当時、中日の選手であった落合選手と
ゴルフをします。
落合選手に私
「どうしたら勝てますか?俺流を教えてください。」
と聞きたかった。が聞けません。
最後にこそっと落合選手が言ってくれたこと。
「苦手なことをやりなさい。」・・・この一言が!
服部道子!
心のスイッチがONになった瞬間です。
服部道子が天才少女といわれ
プロデビューをして2年間、勝ち星なしの試合の連続。
落合選手の一言。
「苦手なことをやりなさい。」と言う言葉が
天才少女服部道子から
超一流服部道子になれた分岐点だったかも知れません。
服部は東京五輪チームのヘッドコーチを、稲見萌寧の銀メダルに!
今から8か月前
2021年8月7日
東京五輪 最終ラウンド
霞ヶ浦カントリークラブ 東コース(6648ヤード・パー71)
稲見萌寧選手は銀メダルを目指して
オーストラリアのリディア・コア選手と
プレーオフを戦っています。
18H(PAR4)からのプレーオフ
第一打
稲見萌寧選手は
フェアウェイをキープしました。
リディア・コア選手は
右のバンカーに入れてしまいます。
2打目
稲見萌寧選手は
ピン左9メートルにナイスオン。
リディア・コア選手は
グリーン手前のフェアウェイ
3打目、4打目
稲見萌寧選手は
最初のパットを10センチに寄せ、パー。
リディア・コア選手は
フェアウェイからのアプローチショット
2.5mに乗せ、パーパットを外す。
稲見萌寧選手はパーで銀メダル獲得。
リディア・コア選手はボギーで銅メダル獲得。
言いたいのは
プレーオフを振り返るのではなく
東京五輪ゴルフコーチを務めたのは
服部道子さんと言いたいのです。
自身の役割を「雰囲気作り。なるべく良い集中を保ちながら
リラックスできる環境を作れれば」という服部コーチ。
引用元:GDOニュース
服部コーチは
影の主役を演じています。
心のケア、ワンポイントアドバイスなど
表に現れない一言一言があればこそ
チームJapanとして
稲見萌寧選手の銀メダルにつながったと
思います。
服部道子さんの旦那さん・夫はどんな人?
服部道子さんの旦那さんは
父と同じ医師で
都内に勤務する3歳年下の医師をしています。
なれそめは、知人の紹介で知り合い、会った時から結婚を意識したという。
「尊敬していて同じ空気で一緒に過ごしてきた感じがする。
信頼しています」と。
出会いや交際期間ついての質問には
「こんなこと初めてなので、どう答えたらいいんでしょう…。
でも、一般の人なのですみません」
引用元:日刊スポーツ
と明かすことを拒んでいる為
旦那さんの事は
詳しいことは分かりませんでした。