中島常幸マスターズ世界4大会で10位以内、トミーアカデミー?

シニアプロゴルファー

中島常幸元プロは

尾崎将司、青木功の3人でゴルフツァーで

優勝争いをした3人組の一人で

AON(青木功、尾崎将司、中島常幸)と呼ばれ

ゴルフ界をけん引していった一人の

トミーの中島常幸さんです。

 

中島常幸のプロフィール

中島常幸は父(巌・いわお)の英才教育を施し
プロゴルファーに育てあげられる。

弟の中島和也、妹の中島恵梨香にも厳しい指導を課す。

 

まさに、漫画の巨人の星の「星一徹」と言われています。

 

父、巌さんのお陰で1975年にプロの世界に。

 

生年月日   1954年10月20日

身長     180cm

体重     80㎏

出身地    群馬県

プロ転向   1975年

 

プロ勝利数  55勝(日本ツァー:48勝・歴代3位)

他7勝

初優勝    1976年ゴルフダイジェストトーナメント

賞金王    4回(1982、1983、1985、1986年)

世界ランク最高位4位 (日本人歴代2位)

日本プロゴルフ殿堂  2019年・プレーヤー部門

 

マスターズなど世界4大会で10位以内

33回出場した中島常幸

ワトソンと出場2人そろって10位入りが3回

1.1986年

マスターズ :8位タイ

2.1986年

全英オープン:8位タイ

2.1987年

全米オープン:9位タイ

3.1998年

PGA選手権:3位タイ

 

中島常幸のマスターズトーナメント・オーガスターのアーメンコーナーでのおお叩きとは?

中島常幸は1978年に出場したマスターズの

2日目に起こります。

 

13日金曜日に

13番ホールで

11番ホール~13番ホール:アーメンコーナー(悪魔が住むホール)

13打打ったということで。

中島常幸本人は話しています。

「ティショットを左に引っかけた。フックしたボールが木に当たり、クリークに入った。ドロップして3打目を打った後、4打目は残り90ヤード。ピンは手前だったね。このショットが弱くてまたクリークの中へ。でも打てそうだった。だから5打目を打ったけど、これが自分の体に当たって2ペナルティー。我を忘れて(ハザード内の)地面を叩いてまた2ペナルティー(笑い)。打ち直しの11打目をグリーン奥に打って2パット」。我を忘れる事態だっただけに、スコアの計算もおぼつかない。「同伴プレーヤーと15番のフェアウェイまで数えていて、ようやく『13』で落ち着いた」(中嶋)

これを読んでいると

あれ~

プロでもスコァーが分からない時があるの?

そんな思いをするのと同時に

心の動揺が凄く感じる

中島常幸さんのコメントです。

 

 

中島常幸の想いを実現するヒルズトミーアカデミーって?

 

中島常幸の想いは

世界で勝てる選手の育成とともに

強さと優しさを持ったゴルファーを育てたい!

トミーアカデミーHPより引用

 

HILS GOLF Tommy Academy

HP:https://www.hillsgolf.jp/tommyacademy/

 

 

2012年にトミーアカデミーが立ち上がって

もう10年が経過しています。

 

トミーアカデミー設立から5年目の卒業生なのが

あの、畑岡奈紗選手です。

アマチュアとして出場した日本女子オープンに優勝し

華々しく現れた新人女子選手です。

 

2021年全米オープン最終日

畑岡奈紗選手と笹生優花選手が4アンダーで並び

プレーオフを戦った記憶が今も残っています。

 

余談になりますが

このプレーオフはもう一つの戦いでもありました。

中島常幸の愛弟子の畑岡奈紗選手

尾崎将司の愛弟子の笹生優花選手

 

ここでも、中島常幸、尾崎将司の戦いです。

人生って面白いめぐり合わせのドラマです。

 

ツァーで戦った中島常幸、尾崎将司

2人がゴルフ選手育成でも戦っています。

 

もう一つ面白いことを。

中島常幸、尾崎将司の師匠は同じ人。

その人の名は、元プロ野球の後藤修さん。

 

Wiki:後藤修より引用

 

中島常幸の愛称(Tommy・トミー)

中島常幸の海外の登録名は

Tommy Nakajima としています。

 

トミーは愛称で

初めにトミーと呼んだのは

アメリカのテレビ局の解説者とのことです。

 

引用元:yahoo

愛称・あだ名は本人が知らない間に

付けられることが多いものです。

 

トミー中島になったのはテレビ局の
一言が

愛称・あだ名になるって不思議な感じです。

 

中島常幸と尾崎将司の師匠は同じ人・後藤修さんはどんな人?

後藤修さんを調べてみましたら

以外にも

元プロ野球選手。

 

1934年4月生まれ

静岡県出身のプロ野球(投手)で

プロ野球選手時代、日本プロ野球史上最多の

8球団を渡り歩いた「ジプシー修」「ジプシー後藤」

と呼ばれた。

 

ゴルフに携わるのは

1069年週刊ゴルフダイジェストから

『ジプシーのゴルフ武者修行』の企画が持ち込まれ

初めてゴルフクラブを買って、練習を始め

ゴルフにのめり込んでいき

テーチングプロとなり後に

中嶋常幸、尾崎将司、などを指導をする。

 

 

中嶋常幸の息子の中島雅生もプロゴルファー

息子の中島雅生(なかじままさお)もプロゴルファーです。

生年月日  1979年11月18日

アマチュア時代 1999年日本オープンローアマ

 

プロ転向  2002年12月

プロデビュー  2002年3月21日

ダイドードリンク静岡オープン

 

残念ながら目立つような活躍は

ありません。

 

名選手の息子は名選手ではありませんでした。

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