岡本綾子はソフトボール出身で、米国ツァーで賞金女王と殿堂入りをする

女子プロゴルファー(国内)

岡本綾子選手とは同年代で、私より3つ年下の

世界のアヤコとして活躍しました。

 

アメリカツァーで1987年に賞金女王に輝き

日本人選手として最多の17勝をマークしています。

 

当時、ゴルフを始めたころなので

岡本綾子選手のゴルフ番組をよく見たものです。

 

岡本綾子選手のプロフィール

名前  岡本綾子

生年月日 1951年4月2日 (70歳)

出身地 広島県東広島市安芸津町(旧豊田郡安芸津町)

プロ転向 1974年

身長 165cm

体重 65㎏

成績 優勝回数62回

(日本女子:44回、全米女子:17回、欧州女子:1回)

初優勝:日本女子:美津濃ゴルフトーナメント

賞金女王 日本女子:1981年

全米女子:1087年

 

生い立ち

岡本綾子さんは1051年東広島市安芸津町で

生まれます。

 

東広島市安芸津町は奈良時代から

海上の要港として栄え

伝統文化が今でも息づく町でもあり

カキの養殖も盛んな土地柄です。

 

特に赤崎のジャガイモ、びわ、ミカンなどが有名です。

 

岡本綾子さんの実家は

ジャガイモやたばこなどを作る農家で

家の手伝いをすることで強靭な足腰が鍛えられる

生活環境で、後のソフトボール、ゴルフスポーツに

役立ったと言います。

 

岡本綾子さんはお転婆な子供で

男の子と野球で遊ぶことが多く

中学時代はソフトボールに入部。

 

ソフトボール時代

女子プロゴルファーは現在約1000人の人がいます。

そのうち、野球・ソフトボール出身者が登録されているだけで

173人になります。

2割弱とかなりの割合を占めています。

 

ソフトボール出身は多く

岡本綾子、小林浩美、渋野日向子、白戸由香、飯島茜

成田美寿々、藤井かすみ

 

岡本綾子さんは愛媛県今治明徳高校に特待生として進学。

 

岡本綾子さんは

大谷選手よりも早く、二刀流の選手で

サウスポーの剛速球のエースで、4番打者として活躍。

 

高校卒業後、ダイワボウに就職

ダイワボウ時代、給料3万円から貯金をしたと言います。

コツコツと貯金も初めています。

 

このコツコツ貯金が後のアメリカ行きの費用になります。

1971年、和歌山県国体で優勝しご褒美に

祝勝ハワイ旅行に行ったと言います。

 

このハワイ旅行が岡本綾子さんの人生の転機になります。

 

ハワイの地でゴルフ場を見学したのが

ゴルフとの出会いになり、ゴルフを始めます。

ゴルフを始めたのは「アメリカに行けるかもしれない」との

想いからでした。

 

アメリカに行きたい。

アメリカに行きたい。

この思いが心の中で大きく膨らんでいます。

 

人間目標が出来ると

動き、考え方が変わります。

夢が出来ると共に、ゴルフに取り組み始めます。

 

岡本綾子さんのゴルフ時代の始まり

1972年、ダイワボウを退職します。

そして、大阪にある、池田カントリークラブで

研修生時代を過ごします。

 

岡本綾子さんの研修生時代

大阪生まれの私ですので

池田カントリークラブで会ってみたかったものです。

 

1974年、プロテスト、2回目の挑戦で合格しています。

1975年 美津濃トーナメントで初優勝

 

1978年 アメリカLPGAのツアーテストを受験するも失敗

 

1979年 日本女子プロゴルフ選手権で

大迫たつ子選手と死闘を繰り広げて優勝。

 

岡本綾子さんがプロ入りした時は

樋口久子プロの全盛期時代

(1986年~1976年9年連続の賞金女王

1978年から2年連続で賞金女王に)

 

1981年 年間8勝をマークし、樋口久子さんを抜いて

初の賞金女王に輝きます。

女子選手で初めてアメリカLPGAに参戦。

 

1981年アメリカLPGAに参戦

アメリカツァーの予選会にも参戦し4位で通過します。

 

 

1982年~1992年 17勝

 

 

1982年 アリゾナ・コパー・クラシックで初優勝を飾る。

この後、岡本綾子さんはアメリカを主戦場にしています。

 

その時のエピソードは

就職した時から、コツコツと貯めた資金が60万円。

「それがなくなったら、日本に帰ろう」と

覚悟をして、アメリカに旅立っていきます。

 

 

1984年 メジャー昇格前の全英オープンで優勝。

2位に11打差のぶっちぎり優勝。

 

1987年 アメリカ人以外初のLPGAツアー賞金女王に輝く

 

 

岡本綾子の殿堂入り

日本プロゴルフ殿堂入り

2014年12月16日

【第3回日本プロゴルフ殿堂入り顕彰者発表記者会見】において

岡本綾子さんら計4名が発表選出されました。

プレイヤー部門での選出で

杉原輝雄さんも同時選出されました。

 

岡本綾子さんは、米国女子ツァーで通算17勝

1987年には全米女子ツァーで賞金女王を獲得。

国内通算44勝し

日本ゴルフ界に大いなる金字塔を打ち立てた

功績が評価されての選出です。

 

岡本綾子さんのコメント

「ありがとうございます。樋口さん、青木さん、ジャンボさんの諸先輩には競技者として数字では及びませんでしたが、国内外で活躍できたことで殿堂入りできて光栄です。まだまだ諸先輩がクラブを振っている姿を見て、私は…一番若いはずなのに倉庫にあります。振り返ると、現役時代には思いませんでしたが、米国LPGAの賞金女王、日本の賞金女王、もちろん、日本のメジャーを取れたことなど、うれしいことがたくさんありました。米国ではもう一歩でメジャーには届きませんでしたが、悔いの残らない試合をしてきました。なかなか私も頑張ったかなあと思います。これからは、若い人たちが世界に羽ばたくのを、何らかの形でお手伝いできると信じてやっていきたいと思います」。

岡本プロのゴルフスイングに釘付けになったもんです。

ゆったりとした柔らかい

優しく、力みのない。

それなのに飛ばし屋でもあります。

 

ゴルフの理想

曲がらず、まっすぐ飛ばし、距離感

この要素を持っていた岡本綾子プロは

私の憧れの選手で、私の理想とするスウイングです。

 

帝王ジャクニクラウスも

「世界一のスイングと認めています。」

 

世界ゴルフ殿堂入り

1981年から全米LPGAツアーに参戦。

日本からの全米LPGAツアーに参戦に道筋をつけた

1人です。

 

全米ツァー参戦は

1人での車運転、長距離を走ったと言います。

英語も話せない中での米国内移動。

食事の違い、言葉の違い、環境の違いなど

困難にも打ち勝ち

全米各地を転戦していったと思います。

 

後輩には、全米ツァーには、1人で行くといいよ。と

アドバイスをしています。

きっと、全米を転戦した時にの経験が

岡本綾子の強さにつながっているのかも知れません。

 

2005年世界殿堂入りをする。

べス・ダニエルプロの案内役の元

岡本綾子さんは紹介されます。

全米女子:17回優勝

欧州女子:1回優勝

全米女子:1987年賞金女王

 

岡本綾子さんのあだ名は?

岡本綾子さんは

日本ツァー通算44勝。

アメリカツァーでは、日本人選手として17勝。

 

1987年には、アメリカツァーでは

賞金女王にも輝いています。

 

「世界のアヤコ」として呼ばれていました。が

岡本綾子さんには

【フニャ】というあだ名をつけられています。

彼女の出身が広島県であるため広島弁のコンプレックスから

ハッキリものをしゃべらないからから

優柔不断のレッテルを張られ

【フニャ】と同僚のプロから言われていました。

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